これからの日本を人口面から整理

2050年の都道府県の人口予想を見る。

東京のみ現状維持、首都圏3県は1割減に留まる。京阪神を抱える3府県も2割近くが減少し、関西の地盤沈下は予想よりも大きい。東海と九州のトップ同士は似通った結果になっている。

私の出身地は3割近く減少。既に雇用を求めて若年層が流出する転出超過状態が続いており、高齢化率もまた全国平均を大きく超えていくと予想されている。県都の商店街も空きテナントが目立ち、店舗撤退後に駐車場となっているケースもあった。

 

続いて内閣官房の資料から未来図を見る。

2025年から団塊世代後期高齢者化が始まり、人類未踏の高齢化にさらに拍車がかかる。団塊ジュニア後期高齢者へ移行する、2040年には2018年比で医療費が1.7倍、介護費は2.5倍へと増大すると試算されている(p9)。こうした社会保障制度の財源ついて、経団連は消費増税を強く求めている。資料の中では、資産の状況を適切に評価し、能力に応じた負担を求める旨の記載もある。

前回のNISAが金融所得課税の契機となった(配当・譲渡所得等に係る税率は、2013年まで約10%だった)ように、新NISA導入後の増税が懸念される。

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/zensedai_hosyo/dai2/sankou1.pdf

 

日本の人口動態を理解するほど、今後社会保障費の増大によって益々労働者として働くインセンティブが削られていくであろうことが容易に予想される。

 

今世紀末には6,000万にも縮小する日本。

55歳定年65歳死亡の時代に生まれた年金制度は現状の水準を維持できない。

予想される増税、負担案として考えられる一例として小川淳也氏が述べているのは、

・高額所得者への年金支給停止。

・支給開始年齢の引き上げ。(70歳から、80歳から)

・資産課税の強化。死亡相続財産80兆のうち相続税収は2兆。現役世代の社会保険料等の大きな負担が高齢世代の資産形成に寄与している点に着目すべき。

https://www.youtube.com/watch?v=2qLi8PJTNrw

終身雇用は悪なのか。

www.youtube.com

日本の賃金が上がらないのは、終身雇用が原因であり、ジョブ型雇用で解雇規制緩和すれば、賃金も上がっていくという見立てだが果たしてそうだろうか。マクロの視点で考えたときに、

バブル崩壊後の失われた20年、そして今日も実質賃金がマイナスである原因は、政府の経済政策の失策にある。プライマリーバランスの黒字化、財政健全化の名のもとに緊縮財政を進めてきた。消費増税による個人消費の落ち込み、現役世代の税・社会保障の負担の増大。

少子化国難」と言いながら、具体的な処置がないまま放置されてきた。

労働人口も就業者数も景気の良し悪しに関係なく、減少傾向が続いており、労働投入量の減少は経済成長率の低下要因となっている。

一労働者として、ミクロな視点でも今後の方向性を検討したい。

ブラック企業またはそうした環境に遭遇した際に、転職して労働力を提供しないというのは一つの対抗手段として有効であり、そのために労働者自身がスキルを身につけ逃避先を確保するという動きも今後強まってくるかもしれない。「ブラックだから逃げる」というネガティブな動機の転職ではなく、給料や労働条件を改善するための転職が増えること自体は労働者としても喜ばしいことだろう。

しかし、仮に転職市場で需要が高い職種での経験があったとしても、年齢の要素は決して無視できない。近年の「DX人材」のように、こうした需給も時代の流れで大きく変わってしまう。リストラや役職定年に見られるように、中高年労働者の立場は結局弱いままなのではないかと思う。

労働者自身が視野を広げる意味でも、自発的に学びを進めていくことが大切であるが、一方で私生活でどれだけの可処分時間があるかということも問われるべきで、時間外労働が常態化している職場が多く存在することも議論するうえで見過ごしてはいけない。

日本では賃上げの担い手であるべき労組が企業別組合中心となっている点も着目すべきである。せめて産別労組がこうした労働者の実情を踏まえて、先手を打った提言・発信をおこない、防波堤として機能してもらうことを期待したい。

どっちにいくか

 昨今の投資&FIREブームで、比較的金融資産を持たない若い世代にも投資が広がっている。
つみたて NISA や ideco といった税制優遇の後押しもあり投資に対するハードルというのはかなり下がっているように見受けられる。
 FIREっていうのは、経済的自立を意味する言葉だ。1日8時間週5日フルタイムで働くのが当然という価値観に疑問を投げかける人も多い。お金と時間に縛られず、自分の好きな趣味であるとかボランティア活動に注力したいという気持ちは分かる。
 そうした投資ブームが広がる中で、話題となったのが岸田新首相の金融所得課税への言及。すでに国は、金融資産の投資収益によって生活をしていこうと考えている人たちに目をつけているということなのだろう。表向きは金融所得とその他の所得との税率の不公平感の解消。しかし、資産1億超のようなレベルだけにこの話は留まらないのではないかと考えている。
 どういうことかと言うと、政治や経済を主導する立場の資本家にとってみれば、株式等の投資収益によって労働者からの離脱を試みる動きというのは全くもって面白くないことだからだ。本来、資本主義は多くの労働者と数少ない資本家によって成立している。であるからこそ、資本家は労働者に対してはどれだけ会社の利益が出ようとも、資本家になることを考えるようなまとまった金は与えず、かといって謀反を起こさない程度のなるべく安い給料で満足してほしいと願っている。
 一旦整理するが、FIREの考え方の根本は、「資産の4%で生きる」と言うことにある。4%という数字は、ざっくり言うと経済の成長率にインフレ率を差し引いた値だ。FIREを志向する人々は予め自身が必要な生活費を求め、そこから必要な資産額を逆算する。だからFIREを達成するための資産額、そして難易度は人それぞれということだ。さらにいえば、配当所得は現行の税制上有利という話もあるのだが、それは一旦置いておく。
 かなり合理的な発想だと私は思っている。しかし、安く使える労働者がたくさん欲しい資本家にとってみれば、やはり警戒すべき動きだ。目標資産を達成次第、労働者からの卒業をはかる図るという動きが加速すれば、最終的には働き手の不足と賃金アップに繋がりかねない。また、すでに累進制度で最高税率を課されている年収2000万超というような高給リーマンにとっても、低所得の人間が悠々自適に過ごしていているというのは受け入れにくいかもしれない。
 これらの争いの火種を消す方法の一つとして、移民政策を推す展開もあるかもしれない。すでに世界経済の中でも存在感を失っている衰退国家であるが、アジアの貧困国の人々の中には、好んで移住したいと言う人もいるかもしれない。
 国内での再分配政策を進めるのか、海外からの奴隷を求めるのかどちらに進んでいくのか注目したい。

歩兵の散り方

上司に退職を申し出て数日余、既に退職日も決まった。
直属の上司からは、簡易で形式的な引き止めはあったものの、これと言って深く理由や意見を追求されることもなかった。
社内で一定の役職者にはすでに知れているところだが、
これまで営業課員に圧をかけてきた部長や役員からは犒いの一言も何もなかった。

労働は金銭対価の上に成り立つ契約。
社に背く人材は黙って去るべしということなのだろう。それは若手の退職が続いても変わらないことだし、退職を交渉カードにして、有利な条件を引き出そうとした結果、報復的に飛ばされた同僚もいる。
私は退職を切り札に何か交渉しようと考えたことは一度もない。不確実性が高いのは勿論、裏切り者のレッテルを貼られながらこの閉鎖的な会社にしがみつく意味を見いだせないからだ。

振り返れば、入った当初から私はここを辞めたかった。
一定範囲の転勤という制度はデタラメ、いわゆる「僻地勤務」に幹部層より新人、若手を優先的に送り出す。
人材も予算も枯渇している全く縁もない田舎町で入社から10年以上キャリアを潰してる社員も珍しくない。
結局、最後まで会社への不信感を拭えなかった。

それでも今日まで続けてきた理由は、辞めたあとのビジョンを思い描けなかったから。
それが無いままにただ辞めるだけでは、今後の人生が好転する気がしなかった。
あくまでこれは私個人の考えだから、いろんな辞め方や考え方があっていいと思う。まずもって退職時期や在籍期間などにとらわれず、強引にでも現状を打破するといった実力や胆力が私自身になかったことを深く反省している。
この会社に新卒で入ったのは私の選択であり責任だ。
ただ、失敗は誰でもする。昨今、他人の失敗や進路について自己責任だと苛烈に責める向きもあるが、失敗を失敗と認め反省の上で再スタートを切ることは何にも恥ずかしいことではないし、むしろ人間として自然なあり方じゃないだろうか。
実際に入った中で見たもの感じたものを掘り下げ、自分の中で譲れるもの、譲れないものを何度も見つめ直して、今後の歩み方を探る日々を過ごしてきた。

といっても、会社に対して具体的な方向性については話すのを控えた。田舎の噂文化でいいネタにされるだけで何もメリットがないからだ。
最近自社の新卒採用のホームページを見たら、事務系の部署で大都市圏勤務、実家も程近いという社員が掲載されていた。その人は部署異動もなく定時上がりの日々だそうだ。車がないと生活できないと言われる地域に住む、私よりも格段に多い地域手当をもらって。※
そうした一部の人間が快適な生活を維持するための「肥やし」に私がなっているという事実は到底受け入れ難いものだった。不平等とか制度の歪だとか様々議論はあるだろうが、「会社が変わらないのだから、自分が変わるしかない」という意地、根性、情念に突き動かされた一面は否定できない。
※ただし、これは会社の裁量によるところが大きく、声高にその人達をしてフリーライダーと批判したいだとか、立場を変わってくれと要求する気持ちもないので嫉妬ではないということを付言しておく。

かつて一年ほどで辞めた若手社員の退職について「彼はやりたいことが見つかったから」という話を何度も聞かされてきた。
退職にあたり、夢や理想を追いかけるということを口実にすることが、双方とも傷つかない綺麗な終わり方ということなのだろう。
私も会社を去り新活面を見出すという意味では同じだが、美談で終わらせるのではなく、寧ろある種の犠牲者や謀反人として散りたいと考えている。
それもあって会社対して具体的に明言するのも憚られた。
中核市以下の田舎で奮闘している歩兵の生き様に関心を寄せることなどないのだろうが、「一寸の虫にも五分の魂」という諺もある。駒のように扱う社員一人の人生にも、たくさんの人間が関わって成立している。最近ではネット上で口コミの共有も活発だ。100年経っても襟を正すことのない企業なのは承知しているが、CMで崇高な理念を謳うのであれば離職が相次ぐ若手社員の処遇について改めて考え直して欲しいところだ。

今後も不安は続く。
収入や経済的なことがメインだが。
それでも自分を騙しながら働くより、希望抱いて働くことの方がずっと精神的にはいいのではないか、そうあってほしいと願う。

同期会

先日、入社1年後研修のようなもので約一年ぶりに同期と再会した。

住む場所も部門も各々異なっているが、私と同じ営業がどちらかと言えば多い。

会計、企画等の事務・総務系はやはり楽そうだった。

こればかりは博打で、資格や専攻等の個人のステータスが加味されて配属ではないようなので何とも言えない。

「エクセル表計算しか最近してないわ」と宣う事務系の社員と話していると別の世界の住人だなと思ってしまう。

私は地方のドブ板営業で、そういった方と比べれば否応もなくこの組織の構造や事業について多少なりとも知っている部分はあるので諸々のブラック要素について語った。

話を聞いたほうはたまったもんじゃないと思ったかもしれない。そのあと「辞めようかな」とぼやいていた。

部門が変われば幸せになれるかというとそうでもないと思っている。

結局、人事に関しては余剰なき玉突き人事の繰り返しなので、連続性のあるキャリア形成などここでは用意されておらず、ひたすら場当たり的に穴埋めとして割り当てられるだけである。しかも全国各拠点のどこに行くかもわからない。

月2万以下の家賃手当だけで田舎工業都市への片道切符を握らせるのだから恐ろしい。

女性からは結婚できるか不安という声も聞いたが、こうした状況なので未婚率は高いんじゃないかと思う。

転勤なしという時代もかつてはあったようで、もっと上の世代は夫婦で職場結婚し地方公務員の2馬力のような働き方で逃げ切っている人もいて、若手に負担を押し付けて不条理だなとも感じるところだ。

破戒

 

仕事への思いを書き記す余裕もないほど今日まで多忙な日々を駆け抜けてきた。

要因の一つは大規模災害への対応である。

9月末以降は、台風と地震で甚大な被害を受けた近畿圏へ赴き、個別の契約者に対し訪問対応を休みを削っておこなった。

3連休なども全て捧げたため給与は通常よりも多くなったが、心身に変調をもたらすことにもなった。

被災地から帰った後から、絶え間なく続く動悸と毎晩の不眠に苦しんだ。

身体にはっきりと表れてきたことで自身の限界を感じた。

「このままでは壊れてしまう。」

深い谷底へ突き落されるような恐怖を感じた。

周囲への迷惑とか人事評価など顧みる場合ではなく、行動を取らなければと思い立った。

そして人生で初めて精神科に足を運んだ。

医師から不安障害と告げられ、薬を処方された。診断書を出して休職させるほどのレベルではないと思われたらしい。経過を見て今後を判断する旨伝えられた。

幸いその後お世話にはなっていないが。

 

ただ診察を受けるまではかなり抵抗があったことを覚えている。

他者評価という名の戒律が心に影を落としていたのかもしれない。

 

人は追い込まれたときに冷静な判断ができない。

一番冷静になるべきところで極端な方向に走ってしまうことすらある。

東大卒の若手電通社員が過労死した事件があった。

私より何倍も聡明な人材であるだろう彼女ですら判断を誤ってしまった。

言うまでもなく転職や休職等、選択肢は無数にあったはずなのに。

しかし、その弱さこそ人間の本質的な部分であって、換言すればただ徒に生きるのではなく、より良い暮らしを望む向上心の裏返しでもあるのではないだろうか。
しかし豊かに生きる未来を希求する前に、大雨で足元の地盤が緩んだならば、まずは立ち止まって傘をさそう。雨が去りまた陽が昇るまで。

処暑の誓い

8月が終わろうとしている。

お盆休みもなく仕事に揉まれながら駆け抜けてきた感じだ。

前回の記事から1ヵ月以上の時が過ぎて、その間新たに経験したこと、学んだことも多くあった。そして何より自分の将来を組織の実態と照らしながら深く考えた期間だったろう。そこで見えてきた、自分の進みたい方向性、大袈裟かもしれないが人生の歩み方。

突然に舞い込んだ罹災対応の中で、普段会うことがない県外の30近くの若手社員と過ごし、様々な話を聞いた。

不本意な配属と故郷や家族との別離、いつ訪れるかわからない辞令、管理職以降も続く不透明なキャリアビジョン─

個々の事情を斟酌することはないという組織の本質を見た気がする。

「組織は潰れないかもしれない、でもこれで幸せなんだろうか。」

心のなかで浮かんだ疑問がずっと消えなかった。

 

悩む中で生じた気づきもある。

一つは幸せの在り方は人それぞれであるということ、もう一つは会社の在り方が自分の幸せに直結するわけではないことだ。

 何をもって幸せというかは人それぞれの価値観に依る。だから給与さえよければいい、会社がつぶれなければいいというのも真っ当な考えだ。

自分の願いを全て叶えてくれる場所などない。しかし、自分にとって何が幸せを掴むために必要で譲れない条件かを見出さなければいけない。

どんな人生を歩みたいかという問いも学生の時に何万回問うたとしても、明確に答えなんて出なったろうなと思う。

身をもって体験するなかでしか見えないことばかりだ。

人口10万レベルの市に住むということがどういうことか、体験しなければ結局分からない。

人は過去に生きるのではない。だからあとは一歩ずつ前進していくだけだ。

具体的な計画については日を改めて取りまとめたい。